産業医池内の週次報告書

産業医の役割とは何かを考え続けている - 社会的な価値はどこにあるのか-

作成者: 産業医池内|26/03/31 7:46

産業医として仕事をする中で、ずっと引っかかっている問いがあります。

「この仕事は、本当に社会の役に立っているのか?」

病院で働く医師は、目の前の患者さんに対して治療を行います。  
良くなった、助かった、という結果が比較的わかりやすい仕事です。

それに比べて産業医の仕事はどうか。

職場巡視、安全衛生委員会、面接・面談、書類対応。

 
どれも必要な業務ではありますが、「これによって何が変わっているのか」が見えにくい。  
社会にどれだけの価値を生み出しているのか、実感しにくい側面があります。


正直に言えば、

「産業医として働くよりも、病院で患者を診ていた方が、社会の役に立っているのではないか」と感じたこともありました。

自分は、できれば社会の役に立つ仕事をしたいと思っています。

それがどれくらい実現できているかは分かりませんが、
少なくとも、自分のやっていることに意味があると思える状態で働きたいとは考えています。

(※本音:自分のやってることの大義名分を設けないと、やる気が出ないタイプです。)

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 企業に対する価値と、その違和感

産業医は企業と契約して仕事をしています。

そのため、企業に対する価値は比較的整理しやすい。

  • 労災や健康トラブルによるリスクを低減する
  • 休職・離職による人的・経済的損失を抑える
  • 安全で安定した職場環境を維持する

こうした点は、企業にとって明確な価値です。



ただ、それだけで産業医の仕事の役割を説明しきれているのかと言われると、どこか腑に落ちませんでした。

企業にとって価値があることと、社会にとって価値があることは、必ずしも一致しないからです。

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 産業医はどの集団に関わっているのか

産業医の対象は「働く人」です。

日本では人口の約6割が生産年齢人口であり、その中の多くが就労しています。  

さらに、その約6〜7割は産業医制度の対象となる規模の事業所で働いています。

つまり産業医は、日本人口の約3分の1に相当する集団に関わりうる立場にあります。

ここで重要なのは、その集団の性質です。

産業医が関わるのは、病気の人だけではありません。

病院では、基本的に病気になった後の人に対してアプローチすることになります。  

また、保健所は地域全体を対象とする公衆衛生の中核的な存在ですが、現実にはハイリスクの方への対応に多くのリソースが割かれる傾向があります。

一方で産業医は、

保健所のようにハイリスク層への関与が相対的に多くなる領域とも異なり(結果としてハイリスク対応が増えることはありますが)、  

働いている従業員という大規模な集団に対して、比較的均一に介入できる距離にあります。


いわゆる「特定の問題を抱えた集団」ではなく、  社会の中で日常的に働いている人たちに、広く関わることができる立場です。

こうした集団に対して比較的均一にアプローチできる点は、産業医の公衆衛生としての大きな特徴の一つではないかと考えています。

そして、この視点を持つことで、  

「産業医は社会にどのような価値を提供しているのか」という問いに対する一つの答えにはなり得ると考えています。

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理想と現実のあいだで

産業医が関わる「働く人」という集団の特徴を考えると、現実的な制約の中で判断する必要があります。

労働は契約に基づく義務であり、労務の提供とそれに対する対価(賃金)が前提となります。

一部の業務を制限したまま長期間にわたり働き続けることは、現実的には難しい。

他の従業員との公平性の問題があります。  配慮すれば労働が成立するわけではありません。

復職の場面でも、「戻すこと」自体が目的ではなく、元の業務が遂行できる状態にあるのかを見極めることが本質だと考えています。  
(「戻したのは良いが、すぐ悪くなった」では誰も得をしない。本当に誰も得をしない。)

無理をすれば状態は悪化し、  一度大きく崩れてしまうと、元に戻るまでに長い時間がかかることもあります。

こうした現実を踏まえると、
産業医の役割は「何をするか」ではなく、「どのタイミングで関わるか」が公衆衛生の観点から重要になってくると思います。

無理に働かせることでもなく、過度に守ることでもない。
その労働条件のもとで就業が成立するかを見極め、本人が理解した上で選択できる状態をつくること。

そして何より重要なのは、
こうした判断が必要になる前の段階で、働けなくなるような状態に進行してしまうことを防ぐことです。

個別対応にとどまらず、集団に対して悪化の進行を防ぐという意味で、公衆衛生としての産業医の役割でもあると考えています。

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自分なりの定義

ここまで考えて、今の自分なりの言葉で産業医を定義するとこうなります。

 

働くことで回復不能な状態に陥ることを、環境・制度・教育を通じて防ぐ医師。

 

まず環境を整え、次に制度で判断のブレを減らし、最後に教育で理解を揃える。

極力個人の努力に依存しない形で、状態の悪化を防ぎ、健康(就業継続できる状況)を維持してもらう。

そのためには、個別対応に偏るのではなく、集団に対して再現性のある形で介入していくことが重要だと考えています。
個別対応だけでは介入できる人数やタイミングに限界があり、集団に働きかけることで初めて防げる状態の悪化もあるためです。

集団への介入は決して万能ではありませんが、対象となる人数を考えれば、その意義は小さくありません。

こうしたアプローチを通じて、働く人が回復困難な状態に至ることを未然に防ぐ。

それが産業医の本質なのではないかと考えています。

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最後に:個ではなく、再現性へ

ただ、ただ、一人の産業医ができることには限界があります。

関われる人数も、時間も限られています。

それでも、この仕事に意味があるとすれば、それは「再現性」にあるのだと思います。

考え方や仕組みが共有され、多くの産業医が同じように機能すれば、その影響は個人を超えて広がっていく。

一人の産業医が変えられるのは、一つの職場かもしれません。  
しかし、それが再現可能な形で共有されれば、複数の職場に広がり、最終的には働く人全体に影響を与える可能性があります。

個別の対応だけでは届かない範囲にも介入できる。  
そうした形で社会全体に影響を及ぼしうる点に、この仕事の意義があるのではないかと考えています。

この考えはまだ途中のものです。  これから経験や研究を通じて変わっていくかもしれません。

ただ、少なくとも今は、

働くことで回復不能な状態に陥ることを防ぐ

という視点を一つの軸として、 産業医という仕事に向き合っていこうと思っています。

**(※本音)
正直なところ、「産業医は社会にとって意味のある仕事なのか」という問いに対して、まだ完全に答えが出ているわけではありません。Healthy worker effectの話も含めて、「本当に公衆衛生として価値があるのか」と考えることもあります。ただ一方で、作業環境の改善や制度の整備を通じて、多くの人に間接的に影響を与えられる点には意味があるとも感じています。少なくとも、「契約先で評価されること」だけを目標にすると、そこで思考が止まってしまう。だからこそ、社会に対してどのような価値を提供しているのかは、これからも考え続けていきたいテーマだと思っています。**